アスベストの危険性が看過できない深刻なものであることは、すでに多くの人がご存知のとおりです。
しかしどうして、どのようにして、アスベストが人体に害を及ぼすか、そのメカニズムまではもしかしたらあまり良く知られていないかもしれません。
主要メディアはその報道を「アスベストは吸い込むと癌になる」という簡略な紹介に留めてしまいがちですが、もう少し踏み込んで理解してみましょう。
アスベストとは
人体に害があると言うと、人工的な成分や毒物を頭に連想しがちです。
しかしアスベストは天然の、成分的には非常にありふれた普通の鉱石です。
ただしアスベストは鉱石でありながらも「超微細な」繊維状の物質であることが、他の物質と一線を画しています。
アスベストをほぐすと、微細な針の形になります。
その細さは実に直径15~40ナノメートル。髪の毛の5000分の1の細さです。
これが空気中に飛散すると、とても人の目には見えません。
そして吸い込むと、人体のさまざまな防衛機構をすり抜けて、肺の細胞にまで至ってしまいます。
人の体内の粘膜には線毛と呼ばれる小さな毛のようなものがびっしりと生えていて、それが常に秒間15回ぐらいのスピードで運動し、人体に害があるウィルスを身体の外に排出しているのです。
しかし微細なアスベストは、この繊毛運動をすり抜けて奥まで侵入してしまうのです。
身体の奥まで入ったアスベストがどのようにして癌などを引き起こすかは、まだ完全にはわかっていません。
マクロファージと呼ばれる白血球の一種が体内の侵入者を排除しようとするものの、マクロファージは細菌やウィルスに対抗するためのタンパク質分解機能しかなく、想定外に侵入した「鉱物」に対処できず過剰なまでのタンパク質分解作用を発揮してしまい、肺にダメージを与えてしまうのだと言われています。
ともあれ現代科学でもはっきりわからないほどの「超微細な攻防」が体内で繰り広げられることで、健康被害が発生するのです。
成分的にありふれた鉱物が、その微細さゆえに人体に甚大な悪影響をおよぼしてしまう。
この事実を知ったとき、危惧を抱かずにはいられないのが「ナノテクノロジー」の分野です。
アスベストのように微細な物質は自然上にはあまり多く存在していません。
しかし人工的に研究され、生み出され始めています。
アスベストのリスクが科学的に解明できていないのだから、アスベストと同じく微細なナノ物質が人体におよぼすリスクもまた未知数です。
ありふれた既存の物質でも、アスベストが通常の鉱石に比べてあまりにも便利であまりにも危険なのと同様に、微細化されることでその物理的な特性を大きく変化させます。
ナノ物質がうかつに環境に放出されると、人体の細胞膜を通過して体内に入り込み、未知の作用をおよぼすことが懸念されています。
すでにさまざまなナノ物質で動物実験が行われており、有害な影響が確認されています。
ナノテクノロジーは何の規制も始まっておらず、そのリスクをいかに評価するか手法が議論・研究されている段階です。
ナノテクノロジーの未来とアスベストがたどってきた過去を重ね合わせるという発想は、さほど突飛なものではないでしょう。
アスベストはその有用性から危険性に目がつぶられ、完全な規制まで数十年もの歳月がかかって被害者を拡散させてしまいました。ナノテクノロジーでも同じ轍を踏んではならないと警戒をすることは無駄ではないはずです。
今も多くの人・企業がアスベスト根絶のために努力を続けています。
もしも万が一ナノテクノロジーから「次のアスベスト」が登場したら、今度は最初から強い決意をもって、規制と被害者の救済に全力で取り組まなければなりません。
アスベストにかかわる人・企業はいざとなったら「微細な物質の脅威」を世の中に提言しなければならないでしょう。
アスベストとはなぜ危険なのか
アスベストの危険性はすでに周知のものとなりました。
アスベストは規制によって、今後新たに製造されることはありません。
しかしこれからアスベストが使われた建築が増えることは無いものの、社会の中には未だにアスベストが使われた建築物が数多く残っています。
アスベストが使われているといっても、その建物で普通に生活する分には飛散の恐れはほとんど無いと考えられています。
アスベストの甚大な被害に遭った方の大半は、アスベストの粉塵が散る中で長時間労働をした人たちでした。したがって現状での問題は建物を解体する際に飛散するアスベストです。
この場合、解体工事に従事している作業員や解体工事が行われている周辺住人への健康問題が危惧されます。
アスベストが使われた建物が老朽化しはじめる頃を迎え、この問題は大きく取り上げられるようになりました。
アスベスト処理業者は数多く存在していますが、コスト削減のためにずさんな安全対策で工事を行なっているものも少なくありません。
競争が激しくなる中で真っ先にコストカットされたのが安全対策だったという恐ろしい現実があります。
実際に解体工事が行われた現場でアスベストが検出された事例が続出しています。ようやく国もアスベスト飛散法の改正によってずさんな工事の監視強化へと動きましたが、その内容はチェック体制の強化が足りない、罰則が設けられていないなど、まだまだあまりに不十分なものと批判が集まっています。
アスベスト処理にはさまざまなやり方がありますが、正しい工法をしっかりしたチェック体制で行えば危険性はまったく無いはずなのです。
にもかかわらず利益最優先のコストカットのために目に見えないアスベストが周囲に無差別にバラまかれているというのは憂慮すべき事態です。
国の規制が不十分な現状で、工事の費用だけをみて安い業者を選ぶのは絶対に避けるべきでしょう。
また安全な工事で建物が解体されれば良いのですが、災害によって建物が倒壊したケースでのアスベスト飛散にも格別の注意を払わなければなりません。
災害という緊急時ではアスベストへの意識が薄くなりがちです。災害によって建物の設計図書が失われ、建物にアスベストが使われているかがわからなくなってしまうケースも多いのです。
復興に急ぐ中で、アスベストへの正しい知識や理解が薄い業者にも工事依頼を出さざるを得ないこともあります。
こうした問題が続出して、3.11の東日本大震災のときにも多くの現場でアスベストの飛散が検出されてしまいました。
災害から復興できたと思ったら、後からアスベスト被害が続出するなどという事態を避けるために、災害時におけるアスベストへの意識も強めていかなければなりません。
アスベスト被害者の補償の現状
アスベストが大きな社会問題として取り上げられることになったきっかけは、平成17年のいわゆる「クボタショック」でした。
それまで、アスベストは2~40年という長い潜伏期間がある上、一般国民の被害が少なかったため、問題になりづらかったのです。
しかしクボタショックでは工場の作業従事者のみならずその家族や周辺の住人にまで健康被害が発表されたという点で、非常に衝撃的でした。
まったくの無関係だった人にまで被害を拡散させた企業の責任は重く、そして問題の規模はもはや労働災害の枠の中では片付かないものとなりました。
一生懸命に働いていただけで被害にあった作業従事者の方々や、ただ近くに工場があったというだけで被害にあった一般住人の方々も、あまりに理不尽な目に遭わされたと感じずにはいられません。企業はもちろん、規制を怠った国の責任も重大です。
被害者が労働者以外にも広がったことから、アスベスト問題は労災だけではすべての被害者を救えない規模となりました。
割合でみると全体のうち2割もの被害者が非職業曝露だったと言われています。
こうした非職業曝露の被害者は労災を受けることができない「隙間」となってしまいました。
そこで国は「隙間のない救済」の新法をつくらなければなりませんでした。
このような経緯で「石綿(アスベスト)による健康被害の救済に関する法律」が誕生したのですが、この法律は隙間のない救済というにはあまりに不十分な内容でした。
何度となく改正が繰り返されたものの、労災よりも給付対象となる病気が狭く、条件が非常に厳しかったのです。
ただでさえアスベスト被害の補償は、被曝してから健康被害が出るまでの潜伏期間が2~40年と長いため、事実を証明するものが見つからないことがほとんどです。
さらに肺がんはアスベスト以外にも原因となりうる要素が存在するため、アスベストが原因と証明することが困難となり補償を受けることが難しくなっています。
実際にはアスベストが原因で肺がんになる人の割合は中皮腫になる人の割合よりもはるかに多いのに、肺がんで補償が認定されている人は中皮腫で補償が認定されている人よりもかなり少なくなっているのです。
また条件が厳しいだけでなく、補償額も労災よりもかなり低額でした。
これは労災と違ってこちらの補償には慰謝料や逸失利益の填補、生活保障などが含まれていないためです。
その中身は純粋に医療助成でしかありません。
それは労災の補償を受けている人と比べて公平性に欠けます。
現状は隙間のない救済は実現されないまま、アスベストへの報道や注目度は沈静化しつつあります。
もはやアスベストは現在進行形の社会問題ではなくなりつつあるのかもしれません。
しかし問題をうやむやにさせてはならず、未だに救済されていない被害者が数多くいることを見逃してはなりません。